史跡② おつぼ山神籠石

今から1300年以上前に造られた朝鮮式ちょうせいんしき山城やましろです。学者の間で神籠石こうごいしが神様をまつる場所なのか、山城なのかが長らく議論ぎろんされていましたが、山城やましろだと初めて明らかにされたことで有名です。国史跡に指定されました。

663年の白村江はくすきのえの戦いの後、防御ぼうぎょ施設として造られた可能性が高く、約1.9㎞の列石(一部欠落)、アーチ状の第1・第2水門、東門、版築構造はんちくこうほう(図のように土を突き固めて作る工法)の第1土塁などがよく残り、立岩たていわ立岩付近が列石の原材料地と考えられます。

参照:㊹ おつぼ山神籠石 詳細解説

参照:橘町のみどころより 歴史シリーズ④ おつぼ山神籠石

参照:武雄市の文化財 おつぼ山神籠石のパンプレット

参照:おつぼ山神籠石 第一水門

参照:おつぼ山神籠石 第二水門

参照:おつぼ山神籠石 東門

おつぼ山神籠石の列石
第2水門
版築工法のイラスト
神籠石東門

神籠石(こうごいし)

白村江の戦い(はくそんこうのたたかい、はくすきのえのたたかい)

編集:橘町歴史研究会 宮下

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史跡① 橘小学校校庭遺跡

「玉泉寺」という中世ちゅうせいのお寺跡です。昭和12~13年頃、小学校敷地拡張しきちかうちょうの時、「応永おうえい35年」(西暦1428年)とられたすずりが見つかりました。昭和の時代、忠霊塔ちゅうれいとう石垣いしがき下に小さな池がありましたが、その北側にあった石炭ストーブの倉庫(避病院跡ひびょういんあと)の場所と考えられます。

たちばな氏が長島庄ながしましょう(今の武雄市周辺)にやってきてから200年ほどたった頃になります。橘氏9代渋江公朝しぶえきみともの頃と思われ、武雄では16代後藤正明ごとうまさあきが九州探題たんだいの渋川氏から塚崎つかざき長島ながしま総地頭職そうじとうしょく下知げちされています。郷土史家中島なかしま平一へいいち氏は「この時期、渋江しぶえの勢力が弱まり、幕府の混乱、九州探題たんだいの交代などにまぎれ長島庄の一部、花島はなしま芦原あしはら等が後藤氏に帰属きぞくしたのではないか」と推測すいそくされています。

参照:橘町のみどころより 歴史シリーズ⑦ 長島庄政所

参照:橘町のみどころより 歴史シリーズ㉙ 長島庄の成立ち

 

橘小学校校庭遺跡の場所
応永年間の硯石(佐賀県の経筒から)

長島庄(ながしまのしょう)

探題(たんだい)

下知(げち)

避病院(ひびょういん)

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史跡⑥ 小野原旧窯跡

古川製陶所ふるかわせいとうしょの奥にありました。明治36年に橘町上野かみの山口秀古やまぐちひでふると言う人がかめかまとして築いた7室の登り窯のぼりかまです。はちかめ・人形などが焼かれましたが、明治43年にかまを廃止したと記録にあります。

橘のかめは、上野かみのの「本登り窯」などで、江戸後期から焼かれています。かめは空気をわずかに通すので、飲み水をめたり、焼酎しょうちゅう醤油しょうゆなどの醸造用じょうぞうようとして重宝ちょうほうされました。

橘のかめは、塩田しおた鳴瀬なるせの港から積み出され、遠くは海外にも輸出されたそうです。

参照:橘町のみどころ 歴史シリーズ⑨ 鳴瀬宿

古川製陶所奥に小野原旧窯跡
小野原旧窯跡・形右衛門窯跡位置図

塩田、塩田津(しおたつ)

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史跡⑤ おつぼ山石棺群

石棺せっかんとは、石を加工してひつぎにしたお墓のことです。

神籠石こうごいし調査の時※1 箱式はこしき石棺が2基見つかりました。中央の1基から直径9cm※2 仿製鏡ほうせいきょう(日本で造られた鏡)が見つかっています。

また別の石棺せっかんから人骨も見つかっています。調査以前にも1基が八郎社はちろうしゃの南に露出していましたので、全体では3基みつかっています。弥生時代から古墳時代にかけての遺跡です。

※1橘町郷土史ではミカン園造成時、ゆか里では神籠石調査時の発見と記載

※2橘町郷土史では直系9cm、ゆか里では10cmと記載

24号おつぼ山石棺墓

仿製鏡(ぼうせいきょう、または倣製鏡)

舶載鏡(はくさいきょう)

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史跡④ おつぼ山第二経塚

 橘公民館の裏から登った所に「靭山うつぼやま神社」の石祠いしほこらがありますが、2つの経塚きょうつかはその前にあったそうです。「佐賀県の文化財13」という調査報告書には、「第1経塚に近い列石内部にも経塚きょうつかが発見されているが、すでに掘り起こされ遺物は存在していない。」と書かれ、出土遺物はなかったようです。

 うつぼとは矢をさして背負う道具(下図参照)の事です。鎮西ちんぜい八郎為朝ためともがおつぼ山の頂上に城を築いたという伝説が残り、弓の名人であった為朝ためともの死後、愛用のうつぼを埋めて神社として為朝ためともをしのんだと郷土史「橘町史跡めぐり」にあります。

靭神社うつぼじんじゃとは別に、第2水門から登った所に八郎はちろうさんもまつってあります。)

参照:おつぼ山第一経塚

参照:鎮西八郎為朝 Wikipedia

靭社の祠

靭イラスト
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