史跡④ おつぼ山第二経塚

 橘公民館の裏から登った所に「靭山うつぼやま神社」の石祠いしほこらがありますが、2つの経塚きょうつかはその前にあったそうです。「佐賀県の文化財13」という調査報告書には、「第1経塚に近い列石内部にも経塚きょうつかが発見されているが、すでに掘り起こされ遺物は存在していない。」と書かれ、出土遺物はなかったようです。

 うつぼとは矢をさして背負う道具(下図参照)の事です。鎮西ちんぜい八郎為朝ためともがおつぼ山の頂上に城を築いたという伝説が残り、弓の名人であった為朝ためともの死後、愛用のうつぼを埋めて神社として為朝ためともをしのんだと郷土史「橘町史跡めぐり」にあります。

靭神社うつぼじんじゃとは別に、第2水門から登った所に八郎はちろうさん(八郎社)もまつってあります。)

時代的には平安時代前期にあたります。

参照:おつぼ山第一経塚
参照:鎮西八郎為朝 Wikipedia
参照:八郎社石棺遺跡 佐賀県文化財調査報告書 PDF p437

靭社の祠
写真② 靭山石祠の祭神
靭イラスト
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