玉島古墳の道向かいの山口さん方の前を通って登った檜林の中にあります。橘町内で2番目に古い窯と伝えられており、明治初期に築窯されたと推定される登窯で昭和22年には廃止されました。
窯頭には「甕山神」と彫られた神様が祀られ、下部に明治12年5月と発起人2名、世話人4名の名前などが刻まれています。山口誠也さんの父秀吉氏が焼いていたと資料に書かれています。
図1 上野本登・玉島窯跡位置図
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町内で2番目に古い窯と伝えられており、明治初期に築窯されたと推定されている。7室からなる登窯で、昭和22年に廃窯となる(「 野田伝著「橘町の甕室窯について」)。
園窯の上位に自然石に「甕山神」と彫られた山神が祀られている(図3)。
【写真解説】
1は玉島窯跡上位の「甕山神」碑である。下部に「明治十二年五月吉辰」のほか、「発起人」2名の名があり、基壇には「世話役」4名、「細工人」8名の名が刻まれている。
3は玉島窯跡表採の甕口縁片である。口縁部は外反気味で、日唇部は内側に折り返して肥厚させている。口縁部中央に2条、肩部に3条の沈線を施している(図4)
上野玉島窯跡登り口
追記:橘歴研野田郷による小野原古窯資料から
「 山口誠也氏所有地であり、氏の祖父山口秀吉氏が、明治15年から昭和15年まで焼いていた。その以前から窯はあったのを引き継いだと言われている。「甕山神」の石碑は明治12年建立の銘有。確かな記録はないが、明治初期頃の始まりと推定する。明治末頃は、東島佐一・岩永利八と3人で焼いていた。また、大正8年頃からは末尾貞市氏が全部を借りて一人で焼いていたが、息子貞雄氏は昭和22年に廃業した」とある。