ドウザマ墓地

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ドウザマ墓地の道祖王・奈良麿公の墓について

伝説によると、道祖王を奉じて橘に下向された奈良麿公は楢崎を安住の地と定められ、この地で一生を終えられた。
今は同墓地の中央、 大木の下に一基の石碑があり更に前方の道路に近い崖の上に三基の石碑が立っている。
中央の大木の下の石碑は道祖王の墓であり、崖上の三本の石碑は奈良麿公と従者の墓と語り伝えられている。また、崖上には六地蔵も祭られている。
昔は、この墓地の下の道が長崎街道で多くの人が通ったが、乗馬で通る人は必ず下馬してこの前を通ったという。若し乗馬のまま通ると目がくらみ落馬して怪我をしたと語り伝えている。

※「ドウザマ墓地」は「ドウソサマの墓地」のつまったもの

※この石碑で比較的文字の分かり易いものの拓本を取った所「応永二十一年」の文字が読まれた。同年は1414年で潮見城主第7代公治の頃か第8代公親の頃である。時代がさがったこの頃、言い伝えをたよりに潮見城主橘氏の手で石碑を建てたのであろう。

※ドウザマ墓地の石碑は大木が成長したため傾いて倒れそう

ドウザマ墓地全景

右の石柱がドウザマ墓

奈良麿公と従者の墓

奈良麿公と従者の墓

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