小野原旧窯の廃窯に伴い、古川形右衛門(古川製陶所の先祖)という人が明治44年に12室の登り窯を築いたことに始まります。上位の3室は幅4間(7.2m)以上もある大きなもので、当時は東洋一を誇っていたといいます。(野田伝「橘町の甕窯に就て」)。
 製品は三石(540リットル)入りの大型をはじめ、大小様々の甕や鉢が焼かれていました。当時は県内でも珍しい自家用トラックで鹿児島の焼酎工場へ直送した(一般的には港から船積み)そうです。
この窯跡は明治時代の遺跡です。
 
 
黒酢仕込み風景
 
 
				
