納手の天神さんと境内の神様について
1. 納手区の氏神さんは天神さんである。納手区の中央に天神さんの境内があり、立派なお堂や鳥居が立っている。鳥居は昭和のはじめ頃、納手区の皆さんの浄財で建立されたものである。お堂の中には祭神菅原道真公のお姿(座像)を刻んだ像(金箔も使ってある)がお祭りされており「梅鉢」の紋のついた暮も奉納され又村人の手で供花、献燈も続けられている。
- 天神さんの夏祭 (祇園)は7月25日で、区の人達の手 で浮立も奉納される。又12月21日には豊年感謝のお祭 りが、納手区の皆さんの手で行われている。
- この部落の天神さんも川岸近くに祭られている。このこと や祭神については別項で述べる。
2. 天神さんの境内には、猿田彦大神宮碑、庚申塔、大青面金剛碑等が建てられている。三つとも庚申講衆の寄進したものである。
註 鎌倉時代・江戸時代には村人全部で庚申待が行われた。 庚申待は、60日に1回廻ってくる。
庚申(かのえさる)の日のお祭で、その夜は村中が講宿に集まってお経を読誦したり、お話を聞いたり、懇談したり、夜を徹してお祭りをした。この講は今でも続けられている。
しかし、一つの区に、庚申待に関する石造物が三つも建っているのは珍しいことで、この地区の人達の信仰心の厚さに感心した。(また潮見神社中宮の南にも納手区の人の寄進した自然石の大青面金剛碑が建っている)
天神社境内の庚申塔群(写真)
庚申待関係の石造物について
- 庚申塔碑・・・一番南側の碑は「庚申塔」と刻まれているだけで、外に文字は見当らない。三つの中で一番古いように思う。
- 大青面金剛碑・・・・円形の美しく刻んだ板碑が角柱の上に立っている。円形板碑には大青面金剛と刻まれており、下の角柱の側面には
開眼師感応院住持○○○○
寛政七年○月吉日(註 一七九五年)
と刻まれている ○の文字は、石の風化が進み破損していて読み取れない。
その他の石造物
天神さんの境内には其の他に宝満神社碑・大学・島居寄付者記録興などがある。
- 宝満神社碑について
宝満神社を別名で竈門神社とも呼ぶ。宝満山は太宰府付近にある山 八六九m) である。 神武天皇が建国を祈願して母、 玉依姫の御霊を宝満山の頂上に祀られたのが起源であると云う。今は宝満山の麓にある。 十一世紀の末には九州(九国二島)の総鎮守社とされ、また平安中期以降は山伏の修験道場ができて栄えた。
この宝満神社を御霊を勧請して祭られたもので国家の繁栄と各家庭の平安を祈念されたものと思う。
碑面には正面に宝満神社と刻み側面に明治九年八月六日、 当邑中とある。
- 大学碑
元納手に住んでおられた光武峰吉氏は、お稲荷さんを信仰されたが、その信者一同の出金で建てられた私的な碑ということであった。個人的な碑を公共の神社境内に建てることについては、いろいろ問題もあったようであるが、「すみの方ならよかろう」と云うことで建立を許可されたと云う。
(松尾清氏談) 「稲荷信仰と大学碑の関係また大学碑はどんな意味で建てられたかはわからない。」
と云うことであった。碑には寄進者の方達の氏名が刻んであるが、武雄、 花島、須古、佐世保、 浜遠方の方の名もあった。(光武峰吉氏の子孫は今納手にはおられない。)