史跡⑤ おつぼ山石棺群

 石棺せっかんとは、石を加工してひつぎにしたお墓のことです。

神籠石こうごいし調査の時※1 箱式はこしき石棺が2基見つかりました。中央の1基から直径9cm※2 仿製鏡ほうせいきょう(日本で造られた鏡)が見つかっています。

 また別の石棺せっかんから人骨も見つかっています。調査以前にも1基が八郎社はちろうしゃの南に露出していましたので、全体では3基みつかっています。弥生時代から古墳時代にかけての遺跡です。

※1橘町郷土史ではミカン園造成時、ゆか里では神籠石調査時の発見と記載

※2橘町郷土史では直系9cm、ゆか里では10cmと記載

時代的には古墳時代の遺跡と思われます。

24号おつぼ山石棺墓

下記 ▶豆知識 をクリックすると内容を表示します。
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豆知識 仿製鏡・倣製鏡(ぼうせいきょう)

 仿製鏡・倣製鏡)とは、弥生時代後期から古墳時代にかけて、東アジアで主流をなしていた中国の青銅鏡を模倣して日本で作られた銅鏡のことです。中国大陸で作られた「舶載鏡(はくさいきょう)」と呼ばれる鏡が日本に伝わり、それを参考に日本の技術で鋳造されたもので、日本で作られたものが特に多いのが特徴です。

特徴
  • 模倣品であること
    中国の銅鏡の文様や形をそのまま模して作られています。
  • 日本製であること
    日本列島で製造された銅鏡です。
  • 弥生時代後期から古墳時代に作られた
    弥生時代後期から古墳時代にかけて制作が盛んに行われました。
  • 副葬品として出土
    古墳時代には有力者の権威の象徴として、墓に副葬品として埋められることが多かったと考えられています。

 Google AIによる概要 より

舶載鏡(はくさいきょう)

 舶載鏡とは、古代に中国で製造され、日本に伝来した銅鏡のことを指します。弥生時代から古墳時代にかけて、中国からの様々な種類の舶載鏡が伝わり、日本の古墳時代における銅鏡文化の発展に大きな影響を与えました。これらの鏡は、祭祀用具として使われるだけでなく、中国との文化交流の証拠としても重要な考古資料となっています。

舶載鏡の時代と種類

  •  前漢(ぜんかん)の時代の精白鏡(せいびんきょう)や、後漢(ごかん)の時代の四神鏡(ししんきょう)、内行花文鏡(ないこうかもんきょう)などが伝来しました。
  •  中国の三国・六朝(さんごく・りくちょう)時代の神獣鏡(しんじゅうきょう)や画像鏡(がぞうきょう)など、多様な鏡が多数発見されており、特に三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は有名です。

舶載鏡の意義

  • 文化的交流の証拠
     舶載鏡は、当時の日本と中国との間の交流、特に大陸からの高度な文化や技術の伝播を具体的に示す資料です。
  • 祭祀の道具
     この時代の鏡は、顔を映す実用品というよりも、その輝きを用いて太陽光を反射させるなど、神聖な儀式や祭祀に使われたと考えられています。
  • 国産鏡(倭鏡)の基礎
 舶載鏡は、日本で独自のデザインを持つ国産鏡(倭鏡(わきょう))が作られる際の模倣の対象ともなり、日本の銅鏡文化の発展の基礎を築きました。
 
 Google AIによる概要 より
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史跡④ おつぼ山第二経塚

 橘公民館の裏から登った所に「靭山うつぼやま神社」の石祠いしほこらがありますが、2つの経塚きょうつかはその前にあったそうです。「佐賀県の文化財13」という調査報告書には、「第1経塚に近い列石内部にも経塚きょうつかが発見されているが、すでに掘り起こされ遺物は存在していない。」と書かれ、出土遺物はなかったようです。

 うつぼとは矢をさして背負う道具(下図参照)の事です。鎮西ちんぜい八郎為朝ためともがおつぼ山の頂上に城を築いたという伝説が残り、弓の名人であった為朝ためともの死後、愛用のうつぼを埋めて神社として為朝ためともをしのんだと郷土史「橘町史跡めぐり」にあります。

靭神社うつぼじんじゃとは別に、第2水門から登った所に八郎はちろうさん(八郎社)もまつってあります。)

時代的には平安時代前期にあたります。

参照:おつぼ山第一経塚
参照:鎮西八郎為朝 Wikipedia
参照:八郎社石棺遺跡 佐賀県文化財調査報告書 PDF p437

靭社の祠
写真② 靭山石祠の祭神
靭イラスト
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◆ R07.04.26 第1回男の料理教室(再開)『そば打ちほか』

コロナ禍のため中断を余儀なくされていた「男の料理教室」が心機一転復活しました。
その第1回目として、小田会長さんがそば粉をいただいたとのことで、急遽メインが「そば打ち」となりました。
会員のみなさんはこれまで鍛えてきた腕前を存分に発揮して素晴らしいそばが出来上がりました。
レシピは画像集をご覧ください。

 

◆ 『男の料理教室』(橘町マルチメディアギャラリー)へ

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R07.04.09 橘小学校『令和7年度入学式』

 4月9日(水)令和7年度橘小学校入学式が執り行われ、19名の1年生が橘小学校に仲間入りし、橘小学校の全校児童が121名になりました。
 新入学児童は、在校生や保護者さん、地域の方々に見守られながら、元気に挨拶をしていました。今年はまだ桜の花も咲いており、天候にも恵まれ、非常に素晴らしい入学式となりました。
 明日から、上級生たちとの集団登校が始まります。地域の皆さん、子どもたちの見守りをよろしくお願いします。

●  (橘町マルチメディアギャラリー)へ

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