史跡① 橘小学校校庭遺跡

 「玉泉寺」という中世ちゅうせいのお寺跡です。昭和12~13年頃、小学校敷地拡張しきちかうちょうの時、「応永おうえい35年」(西暦1428年)とられたすずりが見つかりました。昭和の時代、忠霊塔ちゅうれいとう石垣いしがき下に小さな池がありましたが、その北側にあった石炭ストーブの倉庫(避病院跡ひびょういんあと)の場所と考えられます。

 橘氏たちばなし長島庄ながしましょう(今の武雄市周辺)にやってきてから200年ほどたった頃になります。橘氏9代渋江公朝しぶえきみともの頃と思われ、武雄では16代後藤正明ごとうまさあきが九州探題たんだいの渋川氏から塚崎つかざき長島ながしま総地頭職そうじとうしょく下知げちされています。郷土史家中島なかしま平一へいいち氏は「この時期、渋江しぶえの勢力が弱まり、幕府の混乱、九州探題たんだいの交代などにまぎれ長島庄の一部、花島はなしま芦原あしはら等が後藤氏に帰属きぞくしたのではないか」と推測すいそくされています。

参照:橘町のみどころより 歴史シリーズ⑦ 長島庄政所
参照:橘町のみどころより 歴史シリーズ㉙ 長島庄の成立ち

時代的には江戸時代の遺跡です。

橘小学校校庭遺跡の場所
応永年間の硯石(佐賀県の経筒から)

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豆知識 長島庄(ながしまのしょう)

 長島庄は、平安時代に京都の蓮華王院(れんげおういん)の領地として成立した肥前国(現在の佐賀県武雄市一帯)の荘園です。1172年(承安2年)以前には成立していたことが確認されています。

 Google AIによる概要 より

豆知識 探題(たんだい)

「探題」とは、元々は仏教用語で経典の論題の選定や評定を行う役職を指しますが、転じて鎌倉幕府の「六波羅探題」や「鎮西探題」のように、幕府の出先機関の長官を指す言葉としても用いられました。また、室町時代以降には管領(かんれい)権を持つ広い地域の支配者を指すこともあります。

探題の主な意味
  • 仏教用語
    経典の論議において、論題(議論のテーマ)を選び、問答の後にその論旨の可否を評定する役僧。
  • 幕府の役職名(鎌倉時代)幕府の出先機関の長官の通称。具体的には、京都に置かれた六波羅探題(西日本担当)や九州に置かれた鎮西探題(九州担当)などがあり、幕府の命令を実行する裁判官のような役割も担っていました。
  • 幕府の役職名(室町時代以降)
    幕府や関東府の管領・執事ではなく、それ以外の広い地域を管領する権限を持つ職に「探題」の名称が用いられました。
    例えば、九州を管領する「九州探題」、陸奥・出羽を管領する「奥州探題」などです。

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豆知識 下知(げち、げじ、げぢ)

「下知」は、上からの命令や指図を意味する言葉です。また、鎌倉・室町時代には、将軍や家臣が出した**裁判の判決や命令書(下知状)**そのものを指すこともありました。

具体的な意味
  • 命令・指図すること
    上司や権力のある人が部下や家臣に何かをするように指示すること、あるいはその指示自体を指します。
  • 判決・命令書
    鎌倉時代から室町時代にかけて用いられた「下知状(げじじょう)」という文書を略して下知と呼ぶこともありました。この文書には、裁判の判決や所領の譲与、安堵(安全を保障すること)などが記されています。

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豆知識 避病院(ひびょういん)

 避病院とは、明治時代以降に流行したコレラなどの伝染病患者を隔離・収容して治療するために設置された病院です。当時は「伝染病隔離病舎」と呼ばれ、感染症の拡大を防ぐ役割を担っていました。現代では「感染症指定医療機関」として同様の役割を持つ医療機関がその機能を継承しています。

避病院の主な特徴
  • 目的::伝染病患者の隔離と感染拡大防止。
  • 設置時期::明治10年代(1877年以降)に全国に設置されました。
  • 患者の収容::患者の状態(快復期、軽症、重症など)に応じて病室が割り当てられる仕組みがありました。
  • 位置づけ
    人家から離れた場所に設けられ、感染症の流行が収まると破却されることもありました。
  • の継承
    戦後に「隔離病舎」と呼ばれ、昭和期には「伝染病予防法」に基づき伝染病院へ、さらに感染症法に基づき感染症指定医療機関へと役割が引き継がれています。

 Google AIによる概要 より

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