菊池経直公の墓碑銘

「郷土誌 橘町史跡めぐり」より

「公は菊池第五代の主なり。鳥羽院の武者所に候して近衛に任じ、勢威四隣に振う。偶ゝ潮見社の笠懸神事に来りて此の地にて薨ず。夫人落飾し庵を結びて菩提を弔うという。爾来星霜八百歳墳墓煙滅に頻せんとす。図らずも嘱目、史伝を得たり。遺民即ち浄財を献じて域 (墓地)を買収し茲に再建す。 鳴呼先君の遺民と幽契永に尽きざるなり。」 

昭和39年6月1日 
菊池神社千種宣夫謹誌 

第五代城主 菊池経直公夫妻の墓

 

  • 菊池経直について
    鎌倉時代熊本県菊池郡一帯の領主 (菊池家第五代)、父は菊池氏第四代経宗、母は大納言宣家の娘である「肥前の守」と称し幼名七郎と呼ぶ従四位下を賜る。
    天永2年正月生(1111保安三年(1122武者所に伺候し、鳥羽天皇より鷹の羽を賜る。これにより「そろいたか」を家紋とす。文治26(1186)28日、肥前橘に笠懸神事に参加して死す (行年76才)墓は潮見にある。
    妻は平井中将の娘、経直の死により庵をつくって菩提を弔いこの地にて死す。 潮見に夫婦の墓がある。
    子供が二人あった。長男の隆直は菊池城第六代領主となる。二男は赤星十郎経俊と名乗る。文治2年は今より800年以上も前である(公業入国より以前のことである) 
  • 橘町の笠懸について
    このように潮見神社の笠懸が文治二年の段階で熊本からまで参加していたことを考えれば開始はもっと古いと思われる。
    (武雄神社の矢ぶさめの開始が文治二年である)
     
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潮見古墳について

この古墳は潮見山の東山腹(潮見神社中宮の裏山)に築かれた六世紀中頃の古墳である。 
石室の全長11m、羨道の奥行7.6m、幅1.5~0.9m、高さ1.3m、玄室は奥行3.4m、幅2.5~2.26m、高さ2.7mである。 
床は石敷で、奥の壁に平行して屍床(ししょう)があり、その床の左右に石が立っている。 

この古墳からは豊富な副葬品が出土しており、特に武具馬具等では、全国的に珍しい出土品があり、貴重な史跡である。昭和54年3月31日県指定史跡になっている。 
副葬品は次の通りである。(遺物は奈良の藤の木古墳展にも出品された 藤の木古墳・潮見古墳の二つは、ほぼ同時代で、特に馬具は全国的にも貴重とされている。) 

  • 馬具類・・・五鈴付杏葉(ぎょうよう)四、鏡板四、馬鐸(ばたく)三、雲珠(うず)一、轡鉄(くつわ)若干、鉸具若干(馬具は口絵参照)
  • 武具・・・桂甲一
  • 武器・・・鉄刀八、鉄刀子(とうす)四、鉄鉾(ほこ)五、鉄剣二、鉄鏃(ぞく)若干
  • 装身具・・・冠一、彷製鏡一、耳環二、管玉一
  • 工具・・・鎚(やりがんな)二、鉄斧(ふ)二、 カスガイ二
  • 土器・・・須恵器壺一、須恵器杯一、須恵器片若干、土師器(はじき)片若干 
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六地蔵

六地蔵について

場所:橘町南楢崎地区(武雄種鶏孵化場前)

  • 六地蔵ってなんのためにあるの? 
     六地蔵や道祖神は集落の入り口などに建てられ、外からの悪疫などが入りこまないように建てたとされます。郷土史『橘町の史跡めぐり』の著者は「以前、この奥に宗泉寺(茂手)の庵寺があったためか、またこの道が昔、長崎街道であったためか」と想定されています。

  • いつ頃からあるの?
     前出の著書には「石の風化が進み刻字その他、読み取ることができない」と書かれています。一般的に六地蔵が肥前の国で盛んになったのは、室町時代から江戸時代にかけてとされます。

  • だれが造ったの?
     記録が無いので、いつ、誰がたてたかは分かりませんが、町内各地にある地蔵様は、その周辺で暮らす人々が、地域の安全と平和を願ってまつったものとおもわれます。

  • ほかにもあるの?
     六地蔵は、前出の著書によると、北楢崎(どうざま墓地)、潮見(長泉寺参道)、大日(大日さん境内)、鳴瀬(角醬油屋横の観音様)、片白(長宝寺下ほか)など各地にまつられています。

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神武天皇社

神武天皇社

『橘町史跡めぐり』には「神武天皇社はこの地域に残った建借間族たけかしまぞくが、自分達の祖神である神武天皇をお祭りするために建立した石碑である」と白石町出身の郷土史家の言葉を借りて書かれています。

 建借間族たけかしまぞくとは神武天皇の子孫で、古代のころ杵島山周辺に住んでいたとされる人びとで、常陸ひたちの国(今の茨城県)の筑波山周辺へ東征してそこを治めたとされます。

  • 神武天皇ってだれ?

神武天皇は日本最初の天皇とされる人で、日本書記という古い本に書かれています。この天皇には「はつくにしらすすめらみこと」と読み名をふっていますが、第10代の崇神すじん天皇にも「はつくにしらすすめらみこと」と読み名をふっていますので、初代の天皇が二人もいることになります。太平洋戦争までは、日本の天皇は神武天皇から存在していたと教えていましたが、下の表に示したように100年以上も在位している天皇もいることから、今では第10代までは伝説上の人物で、崇神天皇が実在する初代の天皇ではないかと考えられています。

  • いつ頃からあるの?

 前出の著書には「石の風化が進み神武天皇の文字以外は読み取ることができない」と書かれています。石碑を調査された橘町歴史研究会の前会長によると、石碑は比較的に新しいもので、古代からのものではなさそうとのことです。

  • だれが造ったの?

 記録が無いので、いつ、誰がたてたかは分かりませんが、南楢崎地区の人がまつったものとおもわれます。

  • お祭りの様子は?

 前出の著書には「夏祭りが7月14日に南楢崎区全戸が奉仕して浮立などを奉納され、杉の緑の小枝を使った美しい鳥居を作って奉納するのが例になっている」と書かれています。

 * 現在も7月14日に全戸で浮立を奉納しています。

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